2017/05/31

やきもの研修旅行 第2回「異国文化の窓口 出島」

日ごとに夏の足音を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、先月より2017年2月に行われたやきもの研修旅行のご報告をさせて頂いております。
第2回目は「異国文化の窓口 出島」をご紹介していきます。

出島とは、江戸時代の貿易の窓口である扇形の人工島です。
キリスト教が広まるのを制限しつつ、海外貿易を継続するために寛永11年(1634)から2年程の歳月をかけて作られました。
寛永13年(1636)に完成し、はじめは長崎市中に雑居していたポルトガル人が入居しましたが、まもなく国交が途絶えると、寛永18年(1641)には平戸にあったオランダ商館を移転させます。
以降出島は218年もの間、西洋貿易の拠点として、文化や技術の集まる大舞台でした。

出島は明治以降の出島周辺の埋め立てによってその姿を消したのち、今日まで修復と復元を重ねられ、現在では江戸から明治の町並みが復元されています。
それぞれの建物が資料館として機能しており、その景観も含めて島全体が巨大な資料館となっているのです。

当館の主な所蔵品である伊万里焼と出島の関係は深く、17世紀後半の伊万里焼の海外輸出時代には出島を経由して西欧に輸出されていました。
実際に、出島からは輸出向けの伊万里焼の出土が確認されており、荷積み前に問題があって廃棄したとみえるものや、使用痕があり、輸出されずに商館内で消費されたとみえるものなど様々です。

また、伊万里焼の輸出時代が終わったあとも、出島に居住していた外国人向けの製品を販売しており、これらの陶片も出土しています。
こういった出島から出土したものは、現在、考古館(幕末商社の石倉跡)にて展示されておりました。
展示数が多く、一日中いることができるくらいボリュームがありました。


インターネットが爆発的に普及した現代では、実際に自分の目で本物を見たり、現地に行くことの意味が問われることが多くなりつつあります。
今回、出島に足を運んで、船着き場の跡地や出土品を自分の目で拝見し、また島の町並みを歩いたことで、当時の人々の暮らしぶりを肌で感じることができました。

江戸時代、出島ではどのようなやりとりが行われていたのでしょう。想像が膨らむというのは楽しいことです。


(学芸員 小西)